マチュピチュが再発見された頃、デンマークで300年もの間眠り続けていた
インカについての絵が発見された。
インカには文字がない為、文書の記録が残っていない。
インカ遺跡の中で唯一当時のまま残されていたのがマチュピチュ遺跡で
ある。記録が残っていない為、発掘作業などが重要な手がかりとなっている中、
インカの人々の詳細を知る貴重な資料となっている。
ワマン・ポマ(画家)はインカの末裔(まつえい)で1000ページ・500点を超える挿絵など
膨大な書簡(手紙)を1615年に当時のスペイン王国宛てに送っている。
その資料が1936年に「新しい記録と良き統治」として出版された。
その資料からインカ帝国時代、それ以前のアンデスの歴史、
スペイン人による征服史などの記録、植民政策に対することなどが
スペイン語で書かれている。
インカ文明は飢饉の際には食料や衣服が、国家の土地を耕す時には農具などが支給され、
富める者も貧しい者も、老人や病人も分け隔てなく互いに助け合い、
安心して暮らせる福祉国家だったと記されている。
インカは今も謎に包まれた文明だが、挿絵やスペイン人が植民地時代初期に記した
年代記などから徐々に文明の謎が解き明かされつつある。
ちなみにインカ帝国の正式名称は「タワンティン・スウユ」
南米のペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心に
ケチュア族が作った国である。1438年〜1533年スペイン人に滅ぼされるまで続いた。
最盛期には80の民族と1600万人の人口をかかえ、
現在のチリ北部〜中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部まで広がっていた。
首都はクスコ。ケチュア語で「へそ」を意味する。
インカ帝国の中心(へそ)だったようです。
インカ帝国はインカ文明と呼ばれることがある。
その場合は、巨大な石の建築と精密な石の加工技術、
インカ道のすぐれた統治システムなどを評価しての名称である。
実はインカ帝国以前にもその地域には文明が存在し、プレ・インカと呼ばれている。
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