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2009年06月28日

マチュピチュの謎

マチュピチュ遺跡はまだまだ謎が多いままだが、、、

過去にマチュピチュ遺跡から発掘された人骨から
新たな研究結果が発表されている。
マチュピチュに住んでいたインカの王族は、
「ヤナコナ」と呼ばれる家来を遠く離れた各地から
マチュピチュに連れて来たという。

南アメリカの太平洋岸や北部の高地、
ボリビアの国境にまたがるチチカカ湖周辺から連れてきて、
「ヤナコナ」として一生マチュピチュ遺跡内で
インカの王族の家来として働かせた。

遠く離れた各地から「ヤナコナ」を集めたのには理由があった。
インカの統治者は住民と地元権力者の間の忠誠関係を断ち切る為、
わざと遠くから集められたのだ。

そうすればヤナコナと地元の領主との断絶は大きくなり、
インカの統治者との依存関係を深くすることができる。
それが目的だったのだ。

しかし、、、
故郷から離れる悲しみを和らげ、新たな忠誠心を育むために、
ヤナコナは敬意をもって扱われ、特権を与えられていたことを示す
証拠も見つかっている。

例えば、農地や布地などの贈り物が与えられ、ヤナコナの遺骨には
肉体的な重労働の痕跡はないという。どうやらヤナコナは農業指導や
行政、防衛など、都市を維持するための仕事に就いていたようだ。

1911年にハイラム・ビンガム氏が地元の原住民に案内されて
マチュピチュが発見され、世界の注目が集まった。
1912年〜1913年の最初の発掘で、177の遺体を含む3カ所の墓地が発見された。
墓地や遺体とともに出土した遺物を分析したところ、高貴な身分ではないことが分かり、
ヤナコナの遺体であると推論。

また墓地から出土した遺体の歯を分析したところ、
マチュピチュ付近の食糧や水源結果から幅広い背景をもった人々の集まりであることが
分かったと人類学者ベサニー・ターナー氏は述べている。

一方、ヤナコナ(家来)に対してアクリャ(選ばれた女性)も存在していたようだ。
アクリャはどのような存在だったのか?気になる・・・

今でも発掘作業は続いているようだが、果たして今後、謎は解明されるのだろうか??
posted by Cuzco at 23:20| 南米旅行カテゴリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

宇佐のマチュピチュ

マチュピチュに似た景観が大分県宇佐市にあると
静かな人気を呼んでいるそうです。
市職員が3年前に西椎屋(しいや)地区が
マチュピチュに似ていると気付いたそうですが、、、
写真を見ていると確かにどことなく南米ペルーにある
マチュピチュと似ている気がする。

宇佐のマチュピチュ写真はこちら↓
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/97367

これがきっかけで町おこしになるといいですね!


毎年6月24日にアンデス地帯で最も盛大なお祭りが行われる。
「インティ・ライミ太陽の祭り-インカ帝国復活の日」である。
リオのカーニバル(ブラジル)とオルーロ(ボリビア)の
カーニバルに並ぶ南米三大祭りのひとつである。

インティとはケチュア語で「太陽」の意味でライミは「祭り」の意味。
一年のうちで昼が一番短い冬至の日に、
その年に収穫したトウモロコシから作った
「チチャ」を黄金の瓶に入れて太陽に捧げる。

インカ帝国では、その年の収穫の責任は皇帝にあり、
この祭りを主宰したのも皇帝だった。
太陽の祭りは、インカ時代には、農民が一年の疲れを癒し、
飲んだり踊ったりして楽しんだという。

が、スペインの征服によりインカ帝国崩壊後、
太陽神を祀ることは禁止されていた。
復活したのは、今から60年前でそれ以降は祭りの規模も拡大し、
今では世界中から観光客が大勢やってくるとのこと。

この祭りは現在、クスコ郊外にある要塞跡サクサイワマンが舞台となっており、
インカの宗教的な踊りや儀式が見られるので、一見の価値あり!
(どうやら中学生の学芸会??のようだ。ということも言われていますが^^)
この時期にマチュピチュ観光へ行く方にはオススメです。

ペルーでの豚インフルエンザ感染者は日本よりもずっと少なく
数十人程度だとか。日頃から家畜と生活を共にしているので、
免疫力があるんですね。きっと。
posted by Cuzco at 06:34| 南米旅行カテゴリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

マチュピチュ 画像

マチュピチュ〜クスコ間を走る豪華列車
ハイラムビンガム号が、この度、世界列車の旅ベスト25に
選ばれたようです。

同時にペルーレイル社のクスコ〜プーノ間を走る
アンデアン・エクスプローラー号も選ばれています。

ハイラム・ビンガム号は、マチュピチュへ向かうまでの絶景が
楽しめると同時に美味しい食事やお酒なども飲めて、
優雅な列車の旅ができると人気のようです。

アンデアン・エクスプローラー号は5000m級の雪山が堪能できる。
また標高4335mにあるラ・ラヤ峠で15分間停車後、
列車内で豪華な食事を楽しみ、列車の旅は約10時間となっている。

国際観光列車協会
↑中の画像をクリックすると、列車内の雰囲気が見れます。
ちなみに画像の14番目がハイラムビンガム号、
15番目がアンデアン・エクスプローラー号

マチュピチュへ向かう列車には、3つのクラスがあり、
上級から「ハイラム・ビンガム号」「ビスタドーム号」
「バックパッカー号」。

つい最近まではクスコ→マチュピチュ間を走っていたが、
2009/4/01から全てのクラスが、
クスコ→ポロイ駅orオリャンタイタンボ駅発着となったようです。
なのでクスコ発着は全てなくなったとのこと。
ちなみにポロイ駅はクスコから約15qの場所にあるので、
歩くにはちょっと・・・
バス、車、タクシーで行くしかないですね。

マチュピチュへの1日入場者数、
基本計画では2500人までとされているらしいが、
今では3000人を超えているそうです。
まだまだ増える傾向にある為、マチュピチュ環境保護の一環で
ペットボトルの持ち込みが禁止になったようだ。
しかし、、、1日3000人ってすごい!
マチュピチュ人気はまだまだ続きそうですが、
環境保護にも力を入れていかないと数年後、
マチュピチュ入場禁止になってしまう可能性だってある。
う〜ん、複雑です。
posted by Cuzco at 00:10| 南米旅行カテゴリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする